ἀκούω (聞く、hear, listen to)という動詞の直説法・現在形・能動態は次の変化をします。
1単 ἀκούω
2単 ἀκούεις
3単 ἀκούει
1複 ἀκούομεν
2複 ἀκούετε
3複 ἀκούουσι
ἀκούωのこの形が登場する箇所を調べてみました。新約聖書では43回も登場します。以下の8カ所の diglot weave に注目しましょう。
新約聖書の使用例
マタイ 7:24 それで、わたしのこれらの言葉を ἀκούει 行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
マタイ 11:5 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは ἀκούουσιν、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。
マタイ 13:17 あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、また ἀκούετε ことを聞こうとしたが、聞けなかったのである。
マタイ 27:13 するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、ἀκούεις 〜ないのか」。
マルコ 8:18 目があっても見えないのか。耳があっても ἀκούετε 〜ないのか。まだ思い出さないのか。
ヨハネ 5:30 わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ ἀκούω ままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである。
ヨハネ 8:47 神からきた者は神の言葉に ἀκούει が、あなたがたが ἀκούετε 〜ないのは、神からきた者でないからである」。
ヨハネ 10:3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を ἀκούει。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。
ヨハネ 10:27 わたしの羊はわたしの声に ἀκούουσιν。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。,ヨハ 10:27 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。
使徒 2:8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから ἀκούομεν とは、いったい、どうしたことか。
第一ヨハネ 5:15 そして、わたしたちが願い求めることは、なんでも ἀκούει とわかれば、神に願い求めたことはすでにかなえられたことを、知るのである。
第二テサロニケ 3:11 ところが、ἀκούομεν ところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。