共観福音書と言われるマタイ、マルコ、ルカの三福音書において、イエスが「人の子」と安息日の関係について語っている箇所があります。『エレメンツ』第2章と第3章で学んだ単語や文法だけで、だいたい理解できるはずです。
まずは、シンプルバージョンを読んでみてください。そして、それが分かったら、それぞれの福音書に出てくるバージョンを読んで比較してみてください。
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〜へ、へ向かった
イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに(πρὸς αὐτὸν)集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って(πρὸς τὴν θάλασσαν)陸地にいた。(マルコ4:1)
しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとに(πρός με)こようともしない。(ヨハネ5:40)
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて(πρόσωπον πρὸς πρόσωπον)、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。(1コリント13:12)
〜のゆえに、〜のために、〜の理由で
また彼らに言われた、「安息日は人のために(διὰ τὸν ἄνθρωπον)あるもので、人が安息日のために(διὰ τὸ σάββατον)あるのではない。(マルコ2:27)
〜から(外へ)
また天から(ἐκ τῶν οὐρανῶν)声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。(マタイ3:17)
〜から、〜から離れて
汚れた霊が人から(ἀπὸ τοῦ ἀνθρώπου)出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。(マタイ12:43)